手術寸前の脊柱管狭窄症、ヘルニアによる腰痛が改善。社交ダンスを再開できるまでに回復

体験談

2023/11/15

おじいさん6
年齢

70歳

性別

男性

●MRT仙骨無痛療法との出会い


 2005年5月21日は私にとって人生の転換点とも言うべき記念すべき日であります。


 私の妻が、一枚のチラシを持ってきて、「あなた、こんな療法があるわ。腰痛にも効くみたいよ」と私に手渡してくれたのが5月19日でした。腰痛に悩み、歩くこともままならぬ状態の私に見せてくれたのがMRT良法なるパンフレットでした。


 そこには腰痛はもちろん、ガンから水虫までに効果があるという、にわかには信じられないようなことが書かれていたのです。自宅から5〜6分の所で、庭先のような所です。「1枚体験チケットがあるから、話の種に行ってみたら」これが、MRT仙骨無痛良法なるものを知った初めての瞬間でした。


 2年前のギックリ腰から腰痛に悩まされ、ありとあらゆる治療を受けました。整形外科、整体術、マッサージ、整骨院、電気治療、ゴムバンド治療等々、それに加えて、腰痛に良いというサプリメント、漢方薬等数々の薬、補助薬品、また機械では、全身マッサージ器、高電位治療器、温熱器等ありとあらゆる機械を買い、あるいは治療を試みましたが一向に改善されることはなく、症状は更に悪化するばかりでした。そして、2005年4月1日には二度目のギックリ腰でとうとう1週間歩行困難に陥り、5月のこの時点では20メートル歩くのがやっとの状態だったのです。行きつけの整形外科の診察では、5月30日にMRI撮影(精密検査)を行い、その結果手術をしなければならないかもしれないと、担当医師から申し渡されているほどでした。


 こんな、肉体的には切羽詰まった状態で、駄目で元々と言う単純な気持ちから第1回の仙骨治良(仙骨無痛療法)を受けたのが、記念すべき5月21日でありました。


 さて、リーディングを受け、MRTテーブルに仰向けになるように言われましたが、痛みのために身体がまっすぐにならず、足も曲がらないので、どうしても膝を曲げて仰向けになる体勢が取れませんでした。今から考えるとそれだけ症状は悪化していたのです。何度試みても痛くてできないので、吸引(※)という方法で治良するということになりました。この方法は、下着を下げて直に仙骨の直近の皮膚の上から吸引する方法です。


※吸引治良:赤ちゃんや、何らかの理由でMRTテーブルに仰向けになれない方に行う、吸引カップで治良する方法。


●間一髪! 大手術を免れる


 運命の5月30日、整形外科でMRIの撮影を行い背骨の状態の総合診断を受けることになりました。そして撮影終了後、担当医にMRIの写真を見せられて愕然としました。


 そこには何と背骨の間に、はっきりとヘルニアの白い影が映っていたのです。また、背骨の中で神経の通り道が狭くなっているのが鮮明に映っているではありませんか。


 「脊椎間狭窄症とヘルニアですね。いつ手術をしましょうか」と、医師は当然のごとく問いかけてきます。頭の中は真っ白で、のどはカラカラになり、顔面蒼白になりました。


 「どんな手術をやるのですか」


 「脊骨を割って、神経の通るところに管を入れます。神経の通り道を広くして刺激を少なくします」医者はこんな恐ろしいことをこともなげに言うのです。その頃は仕事のほうも多忙で、とても仕事を1ヵ月間も休める状態でありません。痛みと仕事に挟まれ、何とか手術をしないで済む方法はないか、必死で考えました。


 「そうだ、MRT仙骨無痛療法はまだ半信半疑だが、これまで3回受けた感じでは、何となく良くなっているようなので、これに賭けてみようか」と、このとき天のひらめきで思ったのです。


 そしてMRTに真剣に通い始めるようになりました。段々と左足の痛みが少なくなってきたような感じがしてきたかと思うと、6回、7回目ぐらいでその足の痛みはなくなり、腰の痛みも和らいできたのです。そして、RT(リーディングセラピスト)の先生から、仙骨と椎間板ヘルニアの関連、脊椎間狭窄症との関連の説明を受け、「手術はやめよう」と決心することになりました。


 10回を数える頃には、通常の生活では支障のないくらいに回復し、10分程度なら通常の歩行ができるように回復してきました。


 何故こうなるのかよくわからないまま快方に向かっていったのです。今から考えると、MRTに五月に出会い、MRI撮影の10日前にMRTの仙骨治良(仙骨無痛療法)を始めたこと、そしてある程度効果が出ていたこと、RTの先生の指導を受けたこと等の、一見全くの偶然とも思える出来事が重なり、大手術から間一髪逃れることができたのだと思っています。


●腰痛が改善!人生に明るい灯がともる


 私は一級建築士、ISO国際規格の主任審査員であり、科学技術省登録の技術士として、技術の世界では君臨している立場にあります。


 そのような私が未だ世間には広く知られていない良法を受け入れて良いのかと悩みました。


 そして、MRT仙骨治良を受けることにより日々変化する腰痛の症状と身体の調子を克明に日記に付け、変化の具合を科学的に検証することが当面の私の仕事となりました。その間に内海康満先生の著作は全て拝読しました。


 治良15回を過ぎ、身体の調子は大分良くなりました。私は相変わらず、仕事で審査にコンサルタントにと東奔西走する日々が続いていましたが、MRT仙骨無痛療法だけはしっかりと受け続けていました。手術寸前の脊椎にどのような変化が起き、どのように改善されつつあるのかは自分の背骨の中を見る訳にはいかないので知る由もありませんが、事実として足の痛みは完全になくなり、腰の状態も改善されてきました。


 また、何となく人生に明るい灯がともったようです。理論はまだよくわからないままでしたが、身体のほうは確実に回復し、それと共に私の先行きも、暗さがとれて明るさが増してきたのです。


●「まるで夢のよう」最大の楽しみだった社交ダンスを再開できるまでに回復!


 治良開始から2ヵ月を過ぎ、20回を超えた頃には腰の痛みもなくなったので、それまで休んでいた趣味の社交ダンスを怖々と再開してみました。以前は、毎週末レッスンに通い、ダンスパーティで踊ることが最大の楽しみでしたので、腰痛でダンスができなくなったのは、腰痛以上に辛いことでした。


 私の好きなラテン種目、キューバン・ルンバは音楽に合わせるのが非常に難しい種目ではありますが、ラテンの楽しく魅惑的なリズムに乗り恋の表現をするという踊りで、私にとって、これほど気持ちのよい踊りはないのです(他人からどう見えようとも、踊っている本人はラテンのダンサーになったつもりなのです)。そして、余り身体を動かさぬよう、どうにかやってみると、うれしいことに、何とか踊れるではありませんか! まるで夢のようでした。


 また、治良も30回を過ぎた頃、ダンスをしながら意外なことに気付きました。以前は、音がよくとれずに外して踊ることがしばしばあったのですが、仙骨治良を受けてからは、音がよくとらえられ、身体が自然に動くようになったのです。思わぬ発見でした。


 身体が元気さを取り戻し、安心してダンスを楽しめる日も目の前に来ています。そして、映画「シャル・ウィ・ダンス」の主人公のリチャード・ギアが最後にダンス教師のジェニファー・ロペスと組んで、テーマ曲にのって踊るクイック・ステップの如く軽やかにステップが踏めればと思うのです。


 手を差し出しおしゃれに……「シャル・ウィ・ダンス」!


 仙骨に乾杯を


★体験談は個人の感想であり、MRT仙骨治良(仙骨無痛療法)による効果を説明するものではありません。